豊臣秀吉は、1587年、九州平定のため、37ヶ国に令し、兵力25万を動かした。
筑前国秋月氏(福岡県甘木市秋月町)は、薩摩の島津義久と結び秀吉軍を迎え撃
ったが、衆寡敵せず、ついに降伏した。
その結果、秋月氏は筑前国から日向国財部(高鍋)へ移封されたが、その時随従
した僧常安が、現在の所に境内地を寄進されて建立したお寺が称専寺である。城下
町の最も繁華な上町通りに表門を持つ場所を境内地として寄進されたのは、破格の
厚遇であった。
僧常安が、筑前国在住の時にいたのは覚永寺という寺である。この寺は、秋月の栗
田郷(現在の筑前町)にあった。今でも、「栗田」という地名が残っております。その
関係で、称専寺の正式名は「栗田山称専寺」であり、 寺族の名字も栗田であります
(常安が去った後、覚永寺は博多に移転し、現在も博多駅前にある。住職の名字は、やはり「栗田山」に由来する栗山師である。)
筑前町にある栗田駐在所