沿革概要

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革概要
1590年 筑前国栗田村、覚永寺住職・常安、豊臣秀吉の九州征伐に敗れ移封され    た秋月藩主種長公に随従し現在地に至り、称専寺開基
1682年 本願寺第十四世、寂如上人より、称専寺の寺号公称を許される。
1897年(明治30年) 本堂再建着工
1965年(昭和40年)  正典、第十五世住職就任
1970年(昭和45年) 納骨堂落慶法要
1977年(昭和52年) 梵鐘落慶法要
1980年(昭和55年)  称専寺公称300周年記念事業(本堂修復、門徒会館新築)
2006年(平成18年) 境内拡張、山門落慶法要
2010年(平成22年)  第2納骨堂完成
2010年(平成22年)  鐘楼改修
2013年(平成25年)  正弘、第十六世住職就任
 
 


豊臣秀吉は、1587年、九州平定のため、37ヶ国に令し、兵力25万を動かした。筑前国秋月氏(福岡県甘木市秋月町)は、薩摩の島津義久と結び秀吉軍を迎え撃ったが、衆寡敵せず、ついに降伏した。
 その結果、秋月氏は筑前国から日向国財部(高鍋)へ移封されたが、その時随従した僧常安が、現在の所に境内地を寄進されて建立したお寺が称専寺である。城下町の最も繁華な上町通りに表門を持つ場所を境内地として寄進されたのは、破格の厚遇であった。
 僧常安が、筑前国在住の時にいたのは覚永寺という寺である。この寺は、秋月の栗田郷(現在の筑前町)にあった。今でも、「栗田」という地名が残っている。その関係で、称専寺の正式名は「栗田山称専寺」であり、 寺族の名字も栗田であります(常安が去った後、覚永寺は博多に移転し、現在も博多駅前にある。住職の名字は、やはり「栗田山」に由来する栗山氏である。栗山氏は筑紫女学園大学文学部教授であり、平成26年、学術調査のため当寺を訪れ、後に「九州真宗の源流と水脈 法蔵館 (共著)を著された)

(甘木市に残る栗田の地名。写真は栗田駐在所)