1633年、城下町に火災が発生。町並みから離れた石原や、道具小路巡礼堂にも飛び火して、たちまち城下町は猛火に包まれた。104軒が焼失したという。このとき称専寺も焼失したと思われる。(その後、本堂再建されているが詳細については記録がない)
また、祐善住職の時に、お寺のお説教が終わって、山門から溢れ出した他寺の門徒達が、たまたまそこを通りかかった殿様の御乗馬を驚かせたという事件が起こった。それをきっかけに浄土真宗門徒の15歳以下は他宗派への改宗という命が、高鍋藩から出され、高鍋藩の浄土真宗は不幸な時代を迎えることになった。