了空師の頃は、第2世祐善師の頃に、高鍋藩から出された、「15歳以下の門徒は浄土真宗以外への改宗」という命令が残っており、称専寺をはじめ、浄土真宗の寺院は、甚だしくすたれてしまっていた
ところが、1760年、高鍋藩の藩主を秋月種茂が継がれた。種茂公は、米沢上杉藩を再興された上杉鷹山公の実兄である。いずれ劣らぬ賢兄賢弟で、鷹山公は、兄種茂公を敬愛してやまなかった。その優秀さは地元でも知れ渡っていた。この殿様なら、浄土真宗の弾圧の不条理さを分かってくださるに違いないと考えた了空師は、覚照寺住職と連名で嘆願書を提出した。種茂公はこれを読まれると即座に、門徒の浄土真宗への帰宗許可を出され、ここに長年続いた浄土真宗弾圧は終わりを告げたのである。